牛丼エステ

2001年6月7日
昨晩、某氏に「ネタがあるなら日記に書きなさいな」と言われたので、それらしいものを書くことにしました。

んで、今日が第1弾。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 今年の5月、そろそろ梅雨入りしそうな時期に、同僚のTが喜々として会社にやってきた。
「ちょっとこれ見て!」
 そう言いながら彼が差し出したのは一枚の紙。大きさで言えば名刺より一回り大きい程度だろう。一応、はさみかなんかで切ったようだが、斜めに切り取られている。
 それはいい。
 問題なのは、それに書かれている内容だ。
「牛丼エステ(47)」
 牛丼エステ ッテ ナンデスカ……?
 Tは4階建てのアパートに住んでいる。彼のアパートは一階入り口に郵便ポストが設置されており、そこに公共料金の請求書やらなんやらが突っ込まれるわけらしいのだが、その中に紛れ込んでいたらしい。
 らしいのだが……その手作りさ加減といったら、それはもう「Tのヤロウ、また自作自演か!」という勢いの代物である。
 藁半紙に緑のボールペンで書かれ、三種類のコースと値段が表記されており、出張してくれるお姉さんの年齢まで書かれてある。
 まぁ、それはいいさ。良しとしよう。

 ただね。

「当方では売春行為は致しておりません」

 なんてあからさまじゃないっすか!
 いやいやチョット待て。今の世の中、「カラダ売ります」なんて書けるわけがない。そんなストレート勝負で挑むほど漢気あふれた商売するとこなんていいさ。

 でもね。これはどうなのよ?

「男女アルバイト募集」

 だんじょ? オトコとオンナってことっすか!? 女性はまぁ、分からなくもないデスよ。内容が内容だからね。
 でも男って! なにヤラす気ですか!? 牛丼作るんですか? ホントにそれだけナンデスカ!?

 まぁ、落ち着け。世の中は広いんだ。牛丼持ってエステに来るのが男でも嬉しい人はいるさ。……牛丼って部分で大幅に間違ってる気はするケド。

 しかし。最後のこれはどうなのよ。

「バームクーヘン」

 おいっ! ばぁむくぅへんってなんだ!? 脈絡ないじゃないか! 牛丼とバームクーヘンのセットですか? それはチョット面白すぎじゃないですか!

 とにもかくにも牛丼エステ。興味本位で一回試してみたいんですけど、ダメですか?

ほっと一息

2001年5月31日
でも、まだまだなんですよぅ。
ちなみに、5月は1日も休みがなかったなぁ……。

光陰、矢のごとし

2001年5月16日
「こういん」って漢字、タイトルので合ってるんだっけ? むぅ〜、どうだろ? まぁ、いいか。
とにかく、そんな訳である。とかく、会社に詰めての仕事があると、時間が過ぎるのが早い。瞬く間に、5月も半ばを過ぎてるじゃありませんか。
日記にしたって、「ためておけばいいや」なんて思っていたけど、昔のことなんざすっかり忘れちまったわん。
昔の人はよくいったもんです。

思い立ったが吉日。

や、まさに今のオレにある言葉……おほほ。
や、なんだか久しぶりの更新になってしまった……。
ひとつ言い訳すれば、今、お仕事がいっぱいいっぱいな状虚なわけで、とても日記を書いてる暇がないからってことですな。
おまけに、「5月15日まで」とか言ってましたけど、5月中はこんな状況が続くようです。
はうぅ〜……。

さ〜て、お仕事だ

2001年4月18日
そんなわけで始まりました。これが本業、とも言うべきお仕事、ゲーム攻略本のお仕事です。
んが。
今回は、極めて時間がないっす。洒落抜きでないっす。合計320ページの攻略本を、実働2週間足らずで作れって方が間違ってます。
今はそんなカンジです。
さ〜て、締め切りの5月15日にはいったいどうなってるのかな? あっははー……考えたくも
ねぇや。

拉致られる!!

2001年4月10日
やられちゃいました……油断してたのが、一番の敗因ですなぁ。
そんなわけで、今日は会社にお泊まりです。なんだって急にこんなことに……。

ことの起こりは今日の夕方。自分が関わっていない仕事をやっていたチーフに、お使いを頼まれたのがことの発端。
気が付けば、校正チェックを頼まれ、戻しが来るのを待ち、時計を見れば3:00ごろ。

……ん? 確か、戻りが来るのは『遅くとも』1:30とか言ってなかったか?
そしたら案の定、遅れてやがる。ちなみに、この時点で聞いた話では、今日の6:00が締め切りだったハズ。

絶対、間に合わねぇ……。

そんな考えが皆の脳裏をよぎったその時、電話が鳴った。
「締め切り、のばしてもらった」
おぉ〜い! だったら、今までのアンニュイな時間はなんだったんだ!? 戻り待ちでだ〜らだ〜ら、だ〜らだ〜らしてた時間はなんだったんだ?

ええ、その後、会社でふて寝しましたよ。こんなことなら、帰って布団で寝ればよかった……。
そんなわけです。
今、済んでるところは、なんでも東急の地区開発とかなんとかで、6月頭ぐらい(?)まで引っ越さなければならんということ。
で、新しい部屋を探しに行ってきたわけだけど……あるとこにはあるもんですなぁ。けっこう、今の広さを維持しつつ、駐車場もあって、さらに家賃も手頃なところが。
場所はまぁ、今のところよち、一駅都心から離れるだけだけど、逆に横浜までのアクセスは楽になるかも。
ただ、この後の手続きが面倒っちゃ面倒なんだろうねぇ。
むぅ〜……。

風邪、ぶり返す!

2001年3月27日
タイトル通りです。いや、まぢで死ぬかと思いました。
何せ、寝る直前に寒気がする、末端が冷えている、かといって体は熱い。

あ〜も〜、散々ですわ。

そして今日は……

2001年3月22日
PS2用、バイオハザード CODE:Veronicaを買っちゃいました。昨日、GBAを買ったばっかりだって言うのに、またもや散財。
ああ、これでいいのか社会人。家計を圧迫してないか所帯持ち。
いいんです。これもお仕事お仕事……。おほほほ。
そんなわけで、今日は朝から従姉妹がいます。んが、寝て起きたオレは頭が痛い。やっぱり風邪がぶり返してきたのだろーか?
そういう理由で、今日は会社を休みました。ま、暇な時期だから、大事をとってのお休みです。

んで、傍らには従姉妹がいます。昨日、家に泊まったわけですが、今日、出版社に原稿を持っていこうとしたら担当さんがつかまらない。その上、仙台の方に帰らねばならない。にっちもさっちもな状況で、ぶーたれた顔して傍らにいます。どーでもいいが、お兄さんは風邪引いてるんですけどね……。

午後になり、従姉妹は再度、出版社にお電話。ところが、今度は担当さん、会議に出席中とのこと。17:30ごろにまた、お電話しなけりゃならなくなりました。こうなったら家にいても仕方ありません。そこで従姉妹は、とりあえず渋谷まで出ることにしました。ええ、もちろんオレも一緒です。風邪を引いてますが。

し・か・し。

オレはなにも従姉妹のために渋谷まで一緒に行ったわけではない。
本日は、ゲームボーイアドバンスの発売日。ちゃんと予約をしておいたので、取りに行く、というもくろみがあったわけです。……風邪だけど。

そんなこんなで渋谷。とりあえず、従姉妹は担当さんと連絡が取れたみたいで、これから出版社に行くそうな。オレはそのままアドバンスを取りに出発。

で……そのアドバンスですが……いや、確かにいいゲーム機です。画面の明るさは、まぁ、ゲームボーイカラーとどっこいどっこいですが、画面は大きくなってますな。大きさも、GBCとそれほど変わってない模様。おまけに旧ゲームボーイのソフトもちゃんと出来るわけですし、これなら9800円って値段でも文句はないでしょう。

後はどんなソフトがでるか……って問題だけですな。ま、任天堂の製品だから大丈夫だとは思いますけどねぇ。
そんなこんなでお泊まりです。オレが風邪引いてるっちゅー話を伝えてもお泊まりです。

ええ、ええ、いいんです。相手は19歳の未成年。ここは大人として、また兄のように慕われているということで、グッと我慢しましょう。ああ、いいお兄さんだ(←自画自賛)。

で、なんで従姉妹が泊まりに来るのかというと、某ラジオ番組に出演するからだそうです。そんだけなら家に帰ればいいじゃん、と思うでしょうが、しかし従姉妹はまだ学生。しかも寮暮らし。つまり門限ってもんがあるわけですな。収録が終わって打ち上げに出て……となると、時間的に帰れない、ってのが、言い分です。そこで白羽の矢を立てられたのがうち、というわけですな。

そんなわけで、従姉妹がやってきたのは23:30ごろでした。やって来るなり、開口一番「○○様に会えたの〜! きゃーっ!」ときたもんだ。

まずいです。この娘、かなりマズイです。かなりの勢いでイッちゃってます。しかも、原稿を仕上げなければならないらしく(少女漫画家目指してます)、きゃーきゃー騒ぎながらも、うちでいきなり下書きなんぞを始めたりしてます。

なんでも、寮が春休みになるとのことで、2週間ほど実家に戻るらしいのです。その前に、担当さんに見せて、OKをもらいたいとのこと。

いっぱいいっぱいです。いろんな意味で、この娘はいっぱいいっぱいです。

とりあえず、オレら夫婦は暖かい笑みで見守ってあげてました。そろそろ19歳の勢いは辛くなってきたなぁ……。
そんなわけです。久しぶりに、本格的な風邪です。まいっちゃいます。もぉ、ダルダルです。

そんなわけで、今日は一日寝て過ごしていたようなもんです。しかも、嫁は仕事があるので家には居らず、結局一人で寝てすごしておりました。はぁ〜あ。

そんな折り、ここの日記ともリンク張っている遊上さんからメールが届きました。とあるサイトのアドレスです。

そのサイトとは、知ってる人は知っているであろう、テキストメインのサイト、「侍魂」というところです。

マズイです、ここ。ここの管理人さんは、紛れもなく武士です。熱い侍であることに間違いありません。熱がある状態で読んでみたら、さらに体温上昇すること請け合いです。笑いすぎて。

知らない方がいらっしゃるようでしたら、一度、覗いてみることをオススメします。いや、まぢで。

リンク

これ(↑)がそこのアドレス。時間があるようでしたら、隅から隅まで閲覧すべきでしょう。

従姉妹、再び来訪

2001年3月10日
今日の昼から、ケーキの食べ放題に一緒に行った従姉妹が、再び我が家にやってくる。今回は、嫁に会うためだ。

この従姉妹と嫁は、いわば血のつながりなんぞまるでない他人。なのだが、どういうわけか、醸し出すオーラというか、雰囲気というか、そういうものがどことなく似ている。それはオレの兄貴も同意見。確かに背丈も一緒だし、スリーサイズも似たようなもんだが、二人一緒に並ぶと姉妹の様に見えるってのは、ある意味凄い。そこには趣味が合うことも要因としてあるようだが、それはまぁ、よし。

ともかく、そんな従姉妹がやってきた。が、当初の目的である嫁は、遊上さんのお母さんの告別式に出席するため、17:00ごろまで不在。それまで、オレが面倒見なくちゃいけなくなった。

とりあえず、従姉妹を駅でひろってから、オレの家でビデオなんぞを見ながらだらだらだらだら……。その後、嫁が帰ってくる前に今晩のキムチ鍋の材料調達のため、近所のスーパーへ。買い物を済ませた後、欠食児童の従姉妹にマクドナルドのハンバーガーセットを食べさせる。

その後、気づけば嫁が帰ってくる時間。従姉妹と一緒に嫁を迎えに行くと、従姉妹は大はしゃぎ。曰く「あたしはお姉さまのファンだもん」とのこと。へー、へーそうですか。

家に帰ると、すぐに鍋の準備。とにかく肉に飢えている従姉妹は、なりふり構わず豚肉をほおばり、オレは買ったワインをとにかく飲む。ところで、知っている人は知っているが、オレは酒を飲むと誰彼かまわず抱きつくという酒癖がある。この日も、ワインフルボトル1本呑んだオレは、嫁や従姉妹に抱きついたが、それはそれでよし。

食事を終えた後、従姉妹と嫁は仲良くPCに向かってお絵かき。もともと二人とも……とくに従姉妹の方が本気で少女漫画家を目指しているようなので、なかなか御達者なものですなぁ。

そんなこんなで、なんとかこの日は過ぎてゆきました。
最近、身の回りで不幸な出来事が続く。2週間前にオレの母方の祖母が亡くなり、そして今日、お世話になりっぱなしの遊上さんのお母さんが亡くなった。

遊上さんのお母さんは、今、オレが住んでいるアパートの実質上の管理人さん。オレが2度目に東京に出てくる際、格安で今のアパートを提供してくれた。極端な話、そのお母さんがいなければ、今こうして東京で生活してないんじゃないかというほど、お世話になっている。

そのお母さんが亡くなられた。直接的な死因は聞いていないが、胃ガンがきっかけだったらしい。心より、ご冥福をお祈りいたします。
気が付けば、今日で入籍一周年。

この一年、長かったようであっという間だったような気もする。でもまぁ、入籍する前から一緒に住んでいるので、かれこれ4年は一緒にいる計算。これといった大喧嘩もなく、過ごしてこれたもんだ。ひとえにオレの我慢強さが決めてだね。

そんなわけで今日は、嫁と一緒にカラオケ行って外食して、節目らしい夫婦の一日を過ごしました。
本日は6歳年下の妹みたいな従姉妹とケーキの食べ放題へ出発。

実はあたくし、知る人ぞ知る大酒のみの甘党人間なのだが、生まれてからこの方、一度もケーキの食べ放題というものに行ったことがない。高校時代から「行きたい、行きたい」思っていたのだが、何しろ野郎一人で行っても切ないし、男友達と行ったところで虚しさ大爆発。で、結婚して相方あgできたのでいざ、と思っていたら、嫁は甘いものが苦手。もはや諦めかけていたところで……従姉妹が近所にいることを知り、連れて行った次第だったのです。

場所は新宿、高野フルーツパーラー。あいにく、東京にあるケーキの食べ放題の場所を知らないので、会社の人に聞いてみたところ、そこがいい、と言われて行ってみた。

結果は……ん〜、イマイチ! ってとこですかねぇ。そこはケーキバイキング、ではなくて、ケーキもあるバイキング、だった。なにしろケーキの数は8種類。一応、全種類制覇はしたものの、物足りなかった。従姉妹にも「今度は、少なくとも20種類はあるケーキバイキングでお願いね」と言われる始末……。

くっそう、悪かったよ。ちゃんとリサーチしとくよ。おごってやったんだから、文句言うなよ。ちっ。

その後、目的を果たした俺達は、その後のあてもなく、新宿、渋谷を適当にブラブラ練り歩いた後、オレの家に移動。さすがに酒飲みの一族なので、気が付けば酒の席になっていた。でも、二人でワイン振るボトル一本は少なかったよなぁ……。

今週は……

2001年3月2日
これといって何もなかったですな。
ばあちゃんの葬式が終わったあと、東京に戻っていつものように仕事。
まぁ、今月中程までは暇な時期が続くので、いい気分転換にはなったかも〜。

人が死ぬということ

2001年2月24日
そして今日は告別式である。この日は前日の好天からうって変わって、激しく雪が降り積もる大荒れの天気となった。いかにもばあちゃんの葬式らしい、波乱含みの天気である。

朝9:30ごろから葬儀が始まるため、その前にばあちゃんの家に向かう。到着すると、親戚一同、すでにそろっていた。前日からばあちゃんの家に泊まり込んでいた母親も、喪服の着物に着替えて準備が整っていた。

時間通りに葬儀が始まった。さすがにお別れの儀になると、みんな泣いていた。両親も兄貴も泣いていた。けど、オレは泣かなかった。グッと来るものはあったけど、どうやらオレは涙腺がキツイらしい。おまけに確固たる死生観を持っているし、ばあちゃんも泣きじゃくってもらいたくはないだろう、と思って泣けなかった。

そして、出棺。ばあちゃんの住んでいる地域は、お骨にしてから告別式をするという珍しいパターンだ。そのとき、おちゃめなばあちゃんらしく、オレや兄貴に可愛いイタズラをしてくれた。

火葬場へ行く道に迷ったのである。出席人数が多いため、火葬場に行くマイクロバスに全員乗りきれないため、オレと兄貴、そして嫁の三人は自家用車で火葬場へ向かうことになった。が、間抜けなことにその三人、誰も火葬場の場所を知らない。お坊さんの車の後を付いて行けば大丈夫だろう、と思っていたら、坊さんはものすごいスピードで走り去り、あっけなく見失ってしまった。おまけに雪が降っているため、火葬場の煙突すら見えないという最悪の展開に。三回くらいばあちゃんの家に戻って場所を聞くが、それでも見つからない。これじゃ骨を拾ってあげられない、というときに、従兄弟から携帯電話に連絡が入ってなんとか間に合った。それにしても二日酔いで具合がよろしくないときに山道を走り回って、オレぁばあちゃんの後を追うことになるかと思ったね、まぢで。

その後、戻って告別式が始まった。外を見れば、雪が一段と激しくなっている。これもつつがなく進行し、そして納骨。ええ、ちゃんと行列作ってお墓までばあちゃんの骨を供養しましたよ。降りしきる雪の中を。

すべてが終わった後は、やっぱり親戚一同で酒の席が始まった。オレたち孫一同は、こんな機会だからこそ、兄貴の号令で全員がそろって酒を呑んだよ。未成年だろうがなんだろうが関係なく。もちろん、オレの嫁も含めて。

けどね。今日は雪が降ってるし、嫁が運転するにはアブナイのでオレが運転手になっちゃったわけですよ。当然、一滴も呑ませてもらえませんでしたよ。ええ。なのに兄貴を筆頭に全員が全員、呑みまくっていましたとも。さらに『酒が足りない』とか言われて、オレがわざわざ車を出して酒を買いにいきましたとも。その間に、嫁は自分と『同類』の従姉妹と仲良くなってるしねぇ……。

おまけにその帰り、雪が降って路面が凍結した山道で、また、ばあちゃんがイタズラをしてくれた。思いっきりスリップしちゃいましたよ。ドリフトした、と言えば聞こえはいいけど、そんなご立派なもんじゃなかったですな。危うく壁に激突して死ぬとこでしたよ。まぁ、ばあちゃんが助けてくれた、と思った方がいいのかなぁ……どうなんだろ。

その後、嫁と仲良くなった従姉妹と一緒にファミレスでお茶を飲みました。いろいろ話を聞くと、なんでも夏と冬にある祭典で、コスしてるらしい。嫁曰く、『レイヤーのイズミちゃんと言えば、知ってる人は知ってるわよ』とのこと。おまけに兄貴は兄貴で、俗に言う『壁の向こう側』の人のほとんどとお友達だということが判明。昔からいろいろ話は聞いていたけど、嫁やその『イズミちゃん』の様子を見ていると、知っている人にしてみれば、歓喜の絶叫モノの人達らしい。

なんだか、オレにはよく分からないが結構凄い話になっていたみたいだ。

とにもかくにも、いろんな意味で凄まじい葬式だったなぁ……。

酒はほどほどに……

2001年2月23日
朝、オレはとりあえず母親と二人でばあちゃんの家に向かった。この日はお通夜がある。すでにばあちゃんの家では準備が出来て、みんながあわただしく動き回っていた。親戚やいとこ連中も集まっている。とりあえず、オレはまだ喪服を持っていなかったし、お通夜が始まるのが19:00からだったので、いったん実家に戻るつもりでいた。

その前に、ばあちゃんに会っていこうと思って顔を見せてもらった。しばらく会っていなかったが、それでも1年半くらいだ。なのに、ばあちゃんはなんとも小さくなったように感じた。でも、顔を見る限りではいい顔をしていた。76年の人生、ちゃんと全うしたぞ、って顔をしていた。それを見ただけで、ある意味ホッとした。

母親をおいて実家に戻り、とりあえず喪服を買うため嫁と一緒に外出。一式全てそろえてから、お昼過ぎにこっちに付いた兄貴と仙台駅で合流。

本当は兄貴も真っ先に駆けつけたかったんだろう、と思う。なにしろばあちゃんにとって、兄貴は初孫だ。オレ以上に面倒を見てもらい、かわいがってもらっていたのは兄貴である。

オレと嫁、兄貴の三人で軽く……いや、けっこうしっかりと昼ご飯を食べた後、実家に戻って喪服に着替え、父親を含めた4人で通夜の席へ向かう。すでに親戚一同がそろい、しめやかに通夜の席は進んだ。オレや兄貴、そしてばあちゃんの内孫一同が一斉にそろったのはこの時が初めてだった。そのせいか、じいちゃんはなんとなく嬉しそうだった。

そして、通夜ともなれば身を清めるために酒を飲まなくてはならない。そもそもが酒豪の一族なので、酒の量は尋常ではなかった。特にオレと兄貴は、父方の酒豪の血を引いているので、ほかの孫一同に比べても酒を飲む量は桁違いだ。二人でビール瓶10本以上、日本酒1合を空にした。とにもかくにも、それだけ呑まなければ、ばあちゃんの供養にはならないからねぇ……。

それにしても、さすがに帰りがきつかった。くねくねと曲がる山道に慣れていない嫁の運転で、案の定、実家に戻った後はトイレに駆け込みましたけどね。う〜、まだ胸がむかむかする……。

訃報の電話

2001年2月22日
ことの起こりは本日12:58のこと。いつものようにいつものごとく、会社でだら〜っと仕事をしていたら、実家から電話がかかってきた。

うちの親は、よくオレや兄貴に電話をかけてくることがあるが、平日の、それもこんな時間にかけてくることはまず、ありえない。そしてもし、こんな時間に電話をかけてくるとすれば、まず間違いなく、よくない知らせと相場が決まっている。案の定、その通りだった。

「ばあちゃんが亡くなったぞ」

今年の正月から、電話があるたびに『今年いっぱい持つかどうかわかんないぞ」と言われていたので、覚悟は出来ていた。まぁ、来るべくしてこのときが来た、という感じで、驚きはしたものの、涙が出るほど悲しくはなかった。それでも、小さい頃から可愛がってもらっていたばあちゃんが亡くなった以上、すぐにでも実家に帰らなければならない。幸い、うちの会社の連中はみんな気のいい奴らばかりなので、みんな口を揃えて『さっさと帰れ』と言ってっくれた。その言葉に甘えるように自宅に戻り、嫁と合流して16:00くらいの新幹線に飛び乗って実家へ戻った。

東京から約2時間、地元仙台に戻り、オレと嫁だけで簡単に夕食を済ませた後、両親と合流。亡くなったのは母方のばあちゃんだ。母親に死因を聞くと、肺炎ということらしい。亡くなった時刻は、本日の11:40だったそうだ。

死因は肺炎だが、それ以前からリュウマチなどで長いこと入院していて、最近は特に食欲がなかったそうだ。そのため、風邪から回復するだけの体力がなかったんだろう、ということらしい。

とりあえず、この日はもう夜も遅く、今すぐにばあちゃんの家に行ってもやることがないので、実家の方に戻り、この日は過ぎていった。

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